「防災士チーム柏崎」の勉強会へ参加。
今回は、
柏崎医療センターの副医院長でもあり、柏崎DMAT隊長でもあり、
今ではドクターヘリのメンバー(フライトドクター)で、コードブルーの世界を歩んで?おられる
津吉(つよし)秀樹先生の講演会がメイン。
久々の出席で、懐かしい顔が沢山あり、
気さくな先生のお人柄もあり、
講演会といってもとても和やかな雰囲気で話が進みました。
演題は
「~つなぐ~中越沖地震から始まった災害医療・救急慰労世の関わり合いと連携の取り組み」
内容を聞いた時からこの日を楽しみにしていたまちょろん。
参加して大正解でした。
実は日本DMATの歴史はまだ浅く、
1995年の阪神淡路の地震がきっかけとなり、
一人でも多くの命を救おうと始まったそうです。
あの時、DMATの組織があれば救えた命が多かったはず。
でも
2004年の中越地震には間に合わず、
2007年の中越沖地震が初めての活動だったそうです。
実際には中越沖地震の時、津吉先生、緊急手術中で、
ものすごい揺れで手術もできないどころか、
機材で押しつぶされ自分もろともここに居る人すべてが死ぬのでは?
との恐怖との戦いの中で手術を終え、
その後病院に押し掛けた人であふれかえり、
現場のすざましい様子の話には、体験した人でないとわからないリアル感あふれるお話でした。
ここに書きたいこと、沢山あります。
文字制限超えるほどてんこ盛りのお話。
要約すると
大切なのは
連携と
日頃からの訓練。
助けられる側だけではなく、
助ける側にもならないとね。
そのためには
労力、時間、新年、忍耐、
いろいろな目に見えないものが必要になりますが、
先生の熱い思いが伝わる講演会でした。
柏崎は先生の努力で全国でも珍しい消防とDMATとの連携もし、
お払い箱?になった救急車を改造して柏崎DMAT専用車両までも所有。
なかなか行動的な先生だわ。
先生は2020の東京オリンピックのマラソンランナーでもあり、
聖火を持参して、見せてくださいました。
まちょろん持たせてもらいました。
思ったより重く、
これを高く揚げ走らないといないといけないなんて…
走りずらかっただりうなぁ~。
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